異邦人と鳥

とある国で、彷徨いながらもていねいに生きたいと願う異邦人とイン子たちのくらしと回想録

チャーリーがいなくなってから 〜 Parrot 911/インコ・オウム110番 〜

インコ110番の人と話すことで

いや、チャーリーがいなくなってしまったから

傷を舐めあう、これまではそれをどこかで

良しとしない、もしくは格好悪いと思っていた人種に自分がなることを

良しとすることで

つまりコンフォートゾーンを超えられるかもしれない

 

でも、そんなことよりも、チャーリーに帰って来てほしい

セキセイちゃんたちも、まだ、調子戻ってないよ

元気だけれど

 

マエストロは、チャーリーがいなくなってから

なんとなく、いろいろ主張できるようになってきてて

今も、白ちゃんに文句を言っていた

イケイケ!マエストロ!

本当は、センシティブじゃないところ、いっぱいアピールしてやれ!

 

でも、白ちゃんは換羽だから、疲れてるから、

優しくね

 

とはいえ、君たちはうちに来てからずっと仲良しだったね

 

だから、いっぱい喧嘩してくれなっしな

 

私には霊感とかはない

 

実際そんなものが存在するのかもよくわからない

 

でも、話ができるなら

 

認めるし、その能力が欲しい

 

チャーリーは本当に私の周りを飛び回っているのだろうか

 

別に飛び回ってないと思う

 

気配とか意味がわからない

 

一緒に歌って踊ってたのに

 

顎下に潜ってきてたのに

 

私が逃がしてしまったから

 

 

チャーリーがいなくなってから 〜 空白の1日 〜

昨晩は、チャーリー動画を見てびーびー泣き

なぜかビールもかなりまわり嘔吐までしてしまった

そのせいか、今日は空白という言葉がぴったりの1日だった

 

仕事は少しだけして、保険などの事務作業をした

割とはかどったと思う

 

今日は久々に飲まなかった

昨晩の劇酔いの後だからやはり疲れている

飲まなくて良いというのは久しぶりだ

 

気がついていたのに実行できなかったことがある

おそらく、仕事中も仕事後も

あれもこれもしなければ病に取り憑かれていて

仕事が終わってもやれ人生設計だの何だの

そしてもちろん鳥ちゃんたちの環境を良くすることだの

トレーニングだの

いろいろ考え続けていた

 

それをストップしようと思ってもなかなか難しかった

チャーリーを逃してしまった日から

わたしはやらねばならぬことと決断のオンパレードな日々が続いた

同時に激しい悲しみを抱えながら

 

ただ、そのおかげで雑事をこなすことが少し得意になった

 

今日はそれでも、何かあれもこれもしないと気分になった時は

目の前のことだけに集中するようにした

 

そして、ゆっくりとするようにした

 

さらに、休憩もとるようにした

多分、今まで、特に家で仕事をするようになってから

翻訳作業に入るとあまり休憩らしい休憩を取らずに作業を続けることが多かった

 

少しずつ、丁寧に、一つのことだけをするようにした

そして、その一つのことをやったこと

それが完璧に終了していなくても

やったことを評価するようにした

 

そんなことを考えていたり、やったりして

1日が過ぎた

 

チャーリーのネットに掲載している広告も更新した

するとすぐさま、FBのインコ・オウム捜索グループの人が

他サイトに更新している記事を見つけてFBに転載してくれた

かなりの早技でものすごくびっくりした

そういうことまでしてくれるのか

 

今日はそういえば、少し暖かくて

ベランダにエサをもらいに来るスズメちゃん達を見て

ここにチャーリーが混ざって帰ってきたりすることや

ありえないのだけれどチャーリーが野生化した姿に遭遇して

その場合呼んだら気づくかとか、幸せそうなのかとか、

もう一度ここで暮らすことを説得しようとするのだろうかとか、

誰か拾ったけど広告を見て連絡してくれて再会できたシーンとか

そういうことを思い出していた

 

月日というのは、こういう風にして気持ちを変えていく

チャーリーの不在をいつも感じるが

ただ、これまでの強い悲しみや罪悪感が必ずしも溢れ出てきてどうしようもないという時期は過ぎたようだ

 

それはそれでものすごく、物寂しい

実際、そういう強い悲しみを感じ続けることは

かなり疲労する

このまま日常生活が悲しみで覆われていると

確実に病気になるような気がするので

それも怖いというのがあるのだろう

 

そして、実際、悲しんだ所で

チャーリーが帰ってくるチャンスがアップするかといえば

全然そんなことはない

 

チャーリーがいなくなってから

鳥ちゃんたちのお世話全般がものすごく楽に成ったのも事実だ

拍子抜けすることがある

 

でも、それはチャーリーがいなくなったからというよりは

新しい大ケージの勝手になれたからということと

デイジーの産卵が終わったことと

もちろん、捜索していた時の忙しさが落ち着いたからという

他の要素も絡んでいると思う

 

とにかく脳みそが空白な気がする

 

少し休もう

 

チャーリーがいなくなってから 〜 そして動画を見た 〜

しばらく、というか昨日見ていなかったチャーリー動画を見た
見てしまうとやっぱりダメだ


ダメだ

もう、会えないのか
もう、話せないのか
もう、一緒に笑うことも
もう、一緒にテレビを見ることも
もう、ご飯を食べておいしいって言う声をきくことも
もう、ピコちゃんを追いかけ回す姿をみることも
もう、シロちゃんに間違ってキャップと呼ぶ姿をみることも
ないのか

未来はわからないけれど

でも今現在、それらが不可能なのは確かだ
過去にそれらがあったのも確かだ
そして、やっぱり
未来がわからないことも確かだ

あれから2週間たったことも
わたしがのうのうと生きていることも

この世は修行だとか
この世に生まれてきたのは幸せになる努力をするためとか
この世に生まれてきたのには特別意味があるわけではないとか
見えない世界があるとか
そんなものはないとか

いろいろあるけれどやっぱり

わたしは自分の目で見たり
感じたりすることしか
信じることはできない

2週間前にはチャーリーがここにいて
おしゃべりして
前日出かけてたわたしと遊びたくて
前日出かけてたわたしは疲れてぼーっとして
あの一瞬の魔がさしたような
その魔は日頃の行いとも言えるような
その魔は日頃の行いとは関係がないような
出来事が起きて

わたしは今、とても悲しい
誰に話したとて解決も何もない出来事が起こった

それが事実だ

罪悪感をもつというのはきっと
そうしたほうがある意味楽だから
持つんだろうと、今になって再認識した

罪悪感の多い人は心理学系のものを読んだからか
わたしは避ける傾向にある

仲良くなる前にやたらと助けたがる人とか
そういう人は避けてきた
と書いて気がついたが
昔はきっとそういう人がいたかも記憶にない

それほど
困ってもいなかったのだろう

でも今はたまに遭遇する

自分だけでなくて
自分の年齢で人の役に立ちたい人というか
関わりたい人というのは概して
寂しいのだろう

わたしが寂しくないというわけではないし
仕事面ではある意味希望通りになった
年収も昨年より上がっている
部屋も頭も片付いて整理されてきていた
なぜそこでチャーリーがいなくならなければならないのか
お片づけ月間というか整理が最近のテーマだっただけに
チャーリーも片付けられてしまった感が強い

まあ、そのような根拠のない推測で
自分を追い込むのはよそう

割と前向にいろいろ進んでた気がするが
また元に戻ってしまった

全て諦めとかいうのではないけれど
もう本当にどうしようもないし
世間一般のポジティブに考えよう的な考えからも
元気を得ることが難しくなりつつある

ほんともうどうでもいいや


チャーリーがいなくなってから 〜 捨てたと思っていた羽根が見つかった、バードジムは好評、そして書いている途中にサファリがクラッシュした 〜

書いている途中にサファリがクラッシュした

 

余計なことを書きすぎたのだろう

 

要点をまとめると

 

チャーリーの捨てたと思っていた羽根が

バードジム再建中に見つかった

止むを得ず友人宅で一夜過ごした時にパニックを起こして

出血した出血班も残る

ペットショップで栄養状態が万全とは言えないがためにビヨビヨになった羽根が見つかった

f:id:CocoNassyi:20160217094740j:plain

 

そして今日は、動物シェルターに何か有力情報がないか確認のために電話したら

サイトに書いてあるように定期的にシェルターに訪問する方がいいのか確認するために連絡したら、電話で良いとすぐに連絡してくれた

そして担当(というかいつもの人)に励ましてもらった

諦めるなって言ってもらった

 

そして、昨晩再建したバードジムは大好評だった

(もちろん粟穂のおかげ)

 

 

むほーおいしいよーー!

 

f:id:CocoNassyi:20160217101223j:plain

 

ニョーん

f:id:CocoNassyi:20160217101439j:plain

 

 

f:id:CocoNassyi:20160217102235j:plain

 

わたしは、自分の限界を知った

 

そして、それは、とてもすばらしことだったのだろうと思う

 

自分が、自分だけではできることが限られていることを

そして、もしもたくさん仲間がいたとしても

もしかしたら、億万長者ですぐに10万にん動員できるパワーを持ってしても

1日におよそ7500回行われる決断をすべて間違いなく、

間違いないタイミングで行うことは、

そもそも何が間違いなのかわからない

正解でもそれを本当に証明することのできないこの世では

(ログイントパスワードが確認できて、認証できるのはネットの世界だけ)

全く無意味で

 

今は、捨てたと思っていた羽根が見つかって

チャーリーがいなくなってから2週間ほど静かでケージからも出てこなかったセキセイちゃんがバードジムで遊んでくれて

 

サファリがクラッシュしてまじむかつくけど

とりあえずはまた書けたし、これでいいのだ

 

これで、いいのだ

 

 

 

チャーリーがいなくなってから 〜 泣く理由 〜

チャーリーがいなくなってから、14日目。

もう2週間も喋っていなければ姿も見ていなくて

おいしい〜ってご飯を食べるところも見ていない

 

家に帰ってきた時に呼び鳴き攻撃をすることもなければ

カゴから出せ出せ攻撃もなく

メイク中にタオルを巻いた頭に止まることもなく

ぴこちゃーん、キャップーと追いかける姿も見ていない

 

いないのだからものすごく当たり前なのだけれど

 

毎日泣き続けていたら

まつげが半分の長さになった

 

涙で荒れまくった肌が治ってきたので

日にちの経過を思い出すこともある

 

泣かないで過ごすことも多分可能なのだろうと思う

でも、多分、泣いているときだけ

チャーリーの存在がリアルになるというか

それが一つのコミュニケーション方法になっているのかもしれない

 

人間だったら、殺人をしたら刑務所に入って罪を償うし

みんなからも責められる

でもわたしはチャーリーの命を奪うようなことをしたのに

誰もわたしを責めない

 

命を落とすことに

もし命を落としてなくても怖い思いをさせることに

つながる行為をしたのに

 

ペットロスのサイトを見ていると

自分責めはいますぐやめるように

あなたは過ちを犯す人間なのだから

とあったが

今はまだ、過ちを犯す人間ということで

まとめることはできない

 

かといって確かに、このままずっと悲しんでいて

自分を責めていては病気になってしまいそうなので

それはそれでまたじぶんの弱さというか

自己保存の気持ちが働いて

それも良くないなと思う

セキセイちゃんたちもいる

 

たまに、ベランダで

チャーリーが何食わぬ顔をして

戻ってくるんじゃないかと思うようになってきた

ベランダに出て、ふなふなふなっしーの節を口笛で吹く

でも何も起こらない

 

今週末は最高でマイナス28度にまで落ち込んだ

こんなに気温が下がると顔が寒いとかでなくて痛い

チャーリーがいなくなった日は

気温は零下には達しておらず

早く見つけることができていれば

チャーリーは生きて帰っていた

 

どうしてあの時もっと探さなかったのだろう

夜は越せるから対策をきっちり練ろうと思ったのだけれど

今考えれば、もっと探して大きな声で口笛を吹いていれば

見つかったかもしれない

 

あの時どうして、ジョージのいうことを聞いて

うちに戻ってしまったのだろう

ふと、いや、探した方がいいって思ったと思う

ここでじぶんの思うとおりにしなければ後悔すると思ったから

そうしようと思って最初は探しまわっていた

でも、そのあと、少し家に帰った方がいいと言われて

帰ってジョージとお茶を飲んだ

 

いや、やっぱりあれはあれでよかったのだろう

あの後にプロトコルをてに入れたり

チラシを作ったりしてたじゃないか

 

いや、でも、それよりも何よりも

チャーリーを見つけてあげられなかったこと

あんなにもあっけなくいなくなってしまうようなことをしてしまったこと

その意味がわからない

 

本当に、自分を責めても、後悔をしても

チャーリーは帰ってこない

万が一誰かが保護をしてくれていて

連絡をくれて帰ってきた時には

日常の雑多なことが残っていないような状態にしたいと思って

部屋を片付けたりモチベーションが上がることもあったけど

それは長くは続かなくてぼーっとしてしまったり

泣いてしまったりしてしまう

 

ここで、誰かいい人に拾われているという想像は

ものすごく難しい

外は、冬だ

室内飼いの鳥さんにはあまりにも過酷な状況

 

実際わたしは鳥さんのお世話は

完璧ではないにしても適当にやっている方ではなかったと思う

でも、その完璧でないにしても

の部分でこんな惨劇を招いてしまった

 

誰かに聞いてもらって罪悪感をどうにかしたいという思いもない

辛いのは、チャーリーが味わったであろう苦しみや怖さを思うことや

チャーリーとはもう会えないのだということだ

 

この世は楽しいことばかりではないから

もしかしたらわたしの元からいなくなった方が良かったのかもしれない

それはそれでも仕方がない

 

でも、チャーリーが味わったであろう怖さや苦しさを思うと

とりあえず泣く以外に方法がないのだ

特に外の寒さに触れた時にはそれを想像せざるを得ない

 

よく犯罪者がお坊さんになったりすることがあるが

今の私にはその気持ちがよく分かる

わたしの場合は、ヨガでそうしようかなと思ったりもする

 

冷静に考えれば、こうやって悲しみ続けることで

二次的に与えるセキセイちゃんへの影響は良くないだろう

今朝からやっとみんな少しずつ普通に戻ってきたというのに

 

キャプテンもデイジーもハイタッチをきちんと覚えていたし

ソファーにいるときに飛んでくるようにもなった

外も少し飛び回った

まだ回数は少ないけれど

 

マエストロはまだ情緒が落ち着かない

昨晩もパニックを起こした

チャーリーがいなくなってからこれで2回めだ

こんなに頻繁にパニックを起こすことは通常はもちろんない

 

マエストロのろう膜の色はまだよくない

精巣腫瘍の方に何かが変化があったのかもしれないし

チャーリーが居なくなった異変を感じ取ってのことかもしれないし

最近掃除ができていないとまり木にもしかしたら虫が湧いていたりするのかもしれない

 

理由はこれだとははっきりしないので

とりあえず思いつくことは実行して

マエストロが落ち着けるようにしたい

 

 

 

チャーリーがいなくなってから 〜 まつげの毛づくろい 〜

今朝目覚めた時に、右のまつげが少し引っ張られる感じがして

チャーリーがよくまつげを毛づくろい

というかおもちゃのようにして噛んでいたことを思い出した

 

アニマルコミュニケーターさんの言う通り

たまにチャーリーはここにいるのだろうか

 

わたしには霊感など全くないので

そのまつげを引っ張られた感覚は

単なる脳の記憶にすぎないと思ってしまうが

 

最近は罪悪感がひどい

肌は大時化に見舞われて今もなお荒れ狂っている

食欲はたまにあるが美味しいものを食べたいという気持ちはない

ヨガもやりたい気はするが本当はただ床に伏していたい

とにかく生活を良くするとか素敵にする事柄はすべて実行にブレーキがかかる

 

罪悪感のせいである

多分、こういう罪悪感は今までに経験したことがない

良く心理学系の本や記事で言われる

じぶんでじぶんが幸せになることを許可していないみたいな状況が

本気で起こっている

 

例えばチャーリーの寿命が短かったとしても

苦しむ必要があっただろうか

しかもどうしてわたしがそれに加担する形になってしまったのか

 

例えばチャーリーがまだ生きていたとしても

どうして帰ってくる顛末にならないのだろうか

 

ペットロスの克服の仕方の記事で

もし罪悪感を感じているならば今すぐストップ

あなたは失敗もする人間なのだから

と書いてあった

 

確かに若干楽になった

いや、楽になったというよりは

その考えを受け入れて

楽しいこと、気分の良くなることをして

気持ちを回復させようかと思った

でも、やはり今は強く

 

チャーリーをこんな目に合わせてしまって

わたしは楽しむべきではない

 

そう思ってしまう

 

実際、少しそんなややもすれば自己憐憫のような

ナルシストのような気分を故意に維持しようとするのでなく

セキセイちゃんのためにも

そしていなくなてしまったチャーリーのことで

何かできることがあるならそれをする活力を得るためにも

今じぶんでコンスタントにかけているストレスを軽減することをすればいいのにと

思うのだが

 

というかこれは言い訳だ

 

昼間はぼーっとしてしまうし

夜はビールでぼーっとしたい

チャーリーをまだ探していますという広告を新たに作成しようと思うと

それではあれもした方がいいのではないか

なぜあれはしなかったのか、これはしなかったのか

いや、そうだった、あれは不必要だったからしなかったんだ

 

といったようなもう後悔のような

罪悪感オンパレードの混乱ステータスに入る

 

今週末はゆっくりできる

 

セキセイちゃんたちは本当にケージから出てこなくなった

昨晩は、わたしが粟穂を持ってそばにいると

少し外に出てきたけれど

わたしがいない時に飛び回ることはなくなった

以前は出かける前にケージに入るよう仕向けることに苦労していたのに

 

バードジムを再度作ってケージ外での遊び場を作って様子を見てみよう

このままではセキセイちゃんたちは全く飛ぶという運動をしなくなって

体に非常に良くない

 

チャーリーがいなくなってから 〜 飼い主の罪悪感 〜

そうか、チャーリーはもういないんだ

 

そればかり考えてしまう

 

そうか、もういないのか

それは、こういうことなのか

 

大概のことは、やる気とか出せる

確かにめんどうで放置していることはたくさんあるが

何かとてもストレス強度が高い状況では

今、そして次は何をすればいいかと考えることができる

例えば、仕事。

昔、病院勤めで大動脈瘤が破裂したとき

定職がなくパートナーと別れたとき

その他は思い浮かばないけれど

 

ただ、今回ばかりはもう

じぶんでやってしまったことだからということと

何も悪くない子を苦しめてしまったということと

その子がもういないことが

これから想像していたいろんなチャーリーとの予定が

ないっていうことが

何だかわからないけれどもう

やる気とかそういう問題ではないというか

実際じぶんのことはどうでもいいというか

もうじぶんが生まれてこなければよかったとすら思う

 

じぶんが生まれてこなければよかったというのは多分

初めて思うことであるきがする