異邦人と鳥

とある国で、彷徨いながらもていねいに生きたいと願う異邦人とイン子たちのくらしと回想録

チャーリーがいなくなってから 〜 そして動画を見た 〜

しばらく、というか昨日見ていなかったチャーリー動画を見た
見てしまうとやっぱりダメだ


ダメだ

もう、会えないのか
もう、話せないのか
もう、一緒に笑うことも
もう、一緒にテレビを見ることも
もう、ご飯を食べておいしいって言う声をきくことも
もう、ピコちゃんを追いかけ回す姿をみることも
もう、シロちゃんに間違ってキャップと呼ぶ姿をみることも
ないのか

未来はわからないけれど

でも今現在、それらが不可能なのは確かだ
過去にそれらがあったのも確かだ
そして、やっぱり
未来がわからないことも確かだ

あれから2週間たったことも
わたしがのうのうと生きていることも

この世は修行だとか
この世に生まれてきたのは幸せになる努力をするためとか
この世に生まれてきたのには特別意味があるわけではないとか
見えない世界があるとか
そんなものはないとか

いろいろあるけれどやっぱり

わたしは自分の目で見たり
感じたりすることしか
信じることはできない

2週間前にはチャーリーがここにいて
おしゃべりして
前日出かけてたわたしと遊びたくて
前日出かけてたわたしは疲れてぼーっとして
あの一瞬の魔がさしたような
その魔は日頃の行いとも言えるような
その魔は日頃の行いとは関係がないような
出来事が起きて

わたしは今、とても悲しい
誰に話したとて解決も何もない出来事が起こった

それが事実だ

罪悪感をもつというのはきっと
そうしたほうがある意味楽だから
持つんだろうと、今になって再認識した

罪悪感の多い人は心理学系のものを読んだからか
わたしは避ける傾向にある

仲良くなる前にやたらと助けたがる人とか
そういう人は避けてきた
と書いて気がついたが
昔はきっとそういう人がいたかも記憶にない

それほど
困ってもいなかったのだろう

でも今はたまに遭遇する

自分だけでなくて
自分の年齢で人の役に立ちたい人というか
関わりたい人というのは概して
寂しいのだろう

わたしが寂しくないというわけではないし
仕事面ではある意味希望通りになった
年収も昨年より上がっている
部屋も頭も片付いて整理されてきていた
なぜそこでチャーリーがいなくならなければならないのか
お片づけ月間というか整理が最近のテーマだっただけに
チャーリーも片付けられてしまった感が強い

まあ、そのような根拠のない推測で
自分を追い込むのはよそう

割と前向にいろいろ進んでた気がするが
また元に戻ってしまった

全て諦めとかいうのではないけれど
もう本当にどうしようもないし
世間一般のポジティブに考えよう的な考えからも
元気を得ることが難しくなりつつある

ほんともうどうでもいいや