異邦人と鳥

とある国で、彷徨いながらもていねいに生きたいと願う異邦人とイン子たちのくらしと回想録

チャーリーがいなくなってから 〜 まつげの毛づくろい 〜

今朝目覚めた時に、右のまつげが少し引っ張られる感じがして

チャーリーがよくまつげを毛づくろい

というかおもちゃのようにして噛んでいたことを思い出した

 

アニマルコミュニケーターさんの言う通り

たまにチャーリーはここにいるのだろうか

 

わたしには霊感など全くないので

そのまつげを引っ張られた感覚は

単なる脳の記憶にすぎないと思ってしまうが

 

最近は罪悪感がひどい

肌は大時化に見舞われて今もなお荒れ狂っている

食欲はたまにあるが美味しいものを食べたいという気持ちはない

ヨガもやりたい気はするが本当はただ床に伏していたい

とにかく生活を良くするとか素敵にする事柄はすべて実行にブレーキがかかる

 

罪悪感のせいである

多分、こういう罪悪感は今までに経験したことがない

良く心理学系の本や記事で言われる

じぶんでじぶんが幸せになることを許可していないみたいな状況が

本気で起こっている

 

例えばチャーリーの寿命が短かったとしても

苦しむ必要があっただろうか

しかもどうしてわたしがそれに加担する形になってしまったのか

 

例えばチャーリーがまだ生きていたとしても

どうして帰ってくる顛末にならないのだろうか

 

ペットロスの克服の仕方の記事で

もし罪悪感を感じているならば今すぐストップ

あなたは失敗もする人間なのだから

と書いてあった

 

確かに若干楽になった

いや、楽になったというよりは

その考えを受け入れて

楽しいこと、気分の良くなることをして

気持ちを回復させようかと思った

でも、やはり今は強く

 

チャーリーをこんな目に合わせてしまって

わたしは楽しむべきではない

 

そう思ってしまう

 

実際、少しそんなややもすれば自己憐憫のような

ナルシストのような気分を故意に維持しようとするのでなく

セキセイちゃんのためにも

そしていなくなてしまったチャーリーのことで

何かできることがあるならそれをする活力を得るためにも

今じぶんでコンスタントにかけているストレスを軽減することをすればいいのにと

思うのだが

 

というかこれは言い訳だ

 

昼間はぼーっとしてしまうし

夜はビールでぼーっとしたい

チャーリーをまだ探していますという広告を新たに作成しようと思うと

それではあれもした方がいいのではないか

なぜあれはしなかったのか、これはしなかったのか

いや、そうだった、あれは不必要だったからしなかったんだ

 

といったようなもう後悔のような

罪悪感オンパレードの混乱ステータスに入る

 

今週末はゆっくりできる

 

セキセイちゃんたちは本当にケージから出てこなくなった

昨晩は、わたしが粟穂を持ってそばにいると

少し外に出てきたけれど

わたしがいない時に飛び回ることはなくなった

以前は出かける前にケージに入るよう仕向けることに苦労していたのに

 

バードジムを再度作ってケージ外での遊び場を作って様子を見てみよう

このままではセキセイちゃんたちは全く飛ぶという運動をしなくなって

体に非常に良くない