異邦人と鳥

とある国で、彷徨いながらもていねいに生きたいと願う異邦人とイン子たちのくらしと回想録

チャーリーがいなくなってから 〜 チャーリーの羽根 〜

チャーリーがいなくなってから、チャーリーの羽根をお掃除週間のときに

捨ててしまったことをものすごく寂しく思っていた。

 

鳥さんは、幼鳥の頃に栄養状態が良くない場合、

羽根が波打つことがあるそうだ。

チャーリーの羽根もそうだった。

一応、挿し餌で育てているペットショップで

いやな奴もいるけれど、環境は割と整っているペットショップだったけれど

(だと思ったけれど)、羽根は波打っていた。

特に、飛ぶのに必要な風切羽はビヨビヨと波打っていた。

 

チャーリーがうちに来て数ヶ月して冠羽が始まり、

そのビヨビヨ羽根が少しずつ抜けていった。

わたしは、それを小ビンに入れて保管していた。

その小びんは食卓に置いてあり、邪魔ではないけれど

大掃除なので、捨てることにした

 

これからもっと綺麗な羽根が生えるのだから

それでアクセサリーでもなんでも作ればいいと思った

実際、新しく生える羽根はすべて美しかった。

 

お掃除週間、いや、月間、もしくはキャンペーン中は

ロボットクリーナーを購入したり

不要な服を捨てたり

クローゼットに新たな収納を設けたり(場所を変えたり)して

家は少しずつ整理されていっていた

 

そしたらチャーリーがいなくなってしまった

 

(なんども言うが、いなくなってしまったというよりは

わたしが逃がしてしまったのである

でも、現象としてはいなくなったので責任の所在がうんぬんよりは

たまにそう表現したいと思う)

 

チャーリーがいなくなって、少しでもチャーリーがいる感覚を得たいので

羽根を捨ててしまったことを後悔した

 

そしたら昨日、あろうことか、駆除したはずの南京虫をソファに見つけた

これはかなり凹む

やる気が削がれる

同時に、今のわたしにはやる気などない

 

そこで今朝、南京虫チェックのため

ソファを動かした

すると裏に一つだけ、チャーリーの尾羽が落ちていた

 

他のところにはなかったのに

とてもうれしかった

でもやっぱり一つだけというのは寂しいし悲しい

 

実際、もっとたくさん羽根を付けた実物が帰ってきてほしい。

 

尾羽からは、あのチャーリーのお米のローストみたいな

お日様の光をたっぷり浴びたあったかいおふとんの匂いはしないし。 

チャーリーがいなくなってから 〜 Day 11 〜

今朝はじめて、起床直後にチャーリーの不在を思い出さなかった

夢か、もしくは一瞬目が覚めたときに見たスマホの通知か何かの事を思い出した

その直後、チャーリーの不在を思った

 

今日ですでに11日目である。

そして、今日の13時40分ごろに

チャーリーが飛び立ってから240時間が経過したことになる。

 

泣くことには疲れた。

泣くことはストレスを解放するし

不在の存在を感じることもできる

 

泣くことに疲れた今は

不在そのものを感じ、認めていく過程に入っていくのかもしれない

 

朝のコーヒーを淹れている時

ふと布巾を投げつけた

キューブラーロスの喪失体験後の段階では

怒りを感じるという記載があるが

これまでは怒りは感じたことがなかった

布巾を投げつけた時の感情は怒りだったと思う

誰に対するでもない怒り

行き場はもちろんないので

やはり感情は感じ切ることが一般的に(心理の世界では)推奨されているように

怒りがまた顔を出した時には感じ切ろうと思う

 

朝の仕事を軽く済ませ、セキセイちゃんたちのご飯を用意する。

今日のメニューは、芽出しシード、ペレット、そして手作りエッグフードと豆腐のミックスとレタス。 ラフィーバーのおやつポップコーンとアヴィケーキも添えた。

エッグフードは、特に産後のデイジーのカルシウム補給には大切だ。

そして、セキセイちゃんたちは結構グルメで数日同じものだと飽きて食べなくなるので、エッグフードには大好物の豆腐を混ぜた。タイムも散らした。

エッグフードにはミツバチの花粉も入れてある。滋養強壮だ。

精巣腫瘍のマエストロにもいい。

もちろん、他の鳥ちゃんたちにも。

 

ふと、リビングのコーヒーテーブルに横たわっている

赤いものに目がいった。

チャーリーが使う予定だったハーネスだ。

 

ハーネスをつけて、外に散歩に行こうとしていた。

ロストの危険性もあるので、実際にビュンビュン飛ばすかは未定だったけれど、

小さなケージに入れておさんぽに行く時に、

ハーネスも付いていれば余計にロストのリスクヘッジになると思っていたし、

そこまで訓練されていれば、またそれもロストのリスクヘッジにもなると思っていた。

 

ハーネスはまだ羽根の生えきっていないツンツンの

ひなの頃から練習するのが望ましいらしいが、

うちに来た時はすでに2ヶ月経っていたので、

環境になれること、信頼関係を築くことを優先し、

ハーネスの存在に慣らすために目のつくリビングに置いて、

たまにおもちゃとして遊ばせていた。

 

実はこの前、ハーネスだけでなくフライトスーツも購入したばかりだった。

フライトスーツは今も、セキセイちゃんケージにセキセイちゃん用と一緒にかかったまま。これも、その存在に慣れさせることが目的だった。

 

こんなに色々ロストの危険性やらリスクヘッジなど考えていて

最も初歩的なドアを開けるというミスで

チャーリーを逃してしまったのは意味不明だ。

ただ、多くの事故が初歩的なことから発生するので

当然の結果とも言える。

 

それでも一度、夏にうちでパーティをしていたことがある。

その例のドアを開けて、リビングとキッチン、ベランダを開放していた。

酔ったのか何なのかわからないけれど、知り合い(友達の友達)が

セキセイちゃんのケージのドアをそうっと開けた。

そして、全員が一気に飛び出した。

もちろんドアは全開である。

 

しかしわたしのほうが足が速く、ドアを閉めることができた。

しかも危機一髪のタイミングではなくて、ドアに到着して閉めるまでのじかんは

セキセイちゃんのドア上部のいつもの止まり場所に到着よりも

わたしの方が結構速かった。

 

友達がケージを開けたことを未然に防げたように、

事無きを得る行動がとれる事もあるということだ。

そして、多くは、そう言った偶然の連続は

にんげんが完璧にコントロールすることは不可能だと思う。

 

これは、自責の念を慰めたいからそう言っているのではない。

それもどこかであるのかもしれないが、

そういうコントロールできない事柄や出来事、偶然と

それにに対する無力感と畏怖については無視できないのではないかということに

触れておきたかった。

 

しかし、まだいるセキセイちゃんたちと暮らしていく上で、

書くことでしっかりと考えや考察したことを

行動と習慣に落とし込めるようにしたい。

 

セキセイちゃんたちはあまり、いや、ほとんど

ドアに向かっては飛ばない。

ドアからは少し離れた上にあるさんに向かって飛ぶ。

ドアの向こうに外というものがあることを知らない、

いや、知っていても興味はなさそうだ。

 

ただ、チャーリーは違った。

チャーリーはドアの向こうにまだ世界があることを知っていた。

わたしが外に出るからだ。

そして、ドアには窓が付いているタイプで、

そこによく飛んできていた。

 

書いていて、なんと危ないことをと思う。

もちろん、鳥ちゃんたちが周囲にいないことを確認していれば、

ドアを開けても鳥ちゃんたちが周囲におらず、

よくいるケージ周りから飛んできたとしても、

スピード的にはすぐに閉めれば間に合う。

 

わたしもドアを全開にして出入りしていたのではない。

この日は周囲の確認が甘かった。

(ここでは、放鳥中にドアを開けるという行為の安易さと馬鹿さ以外のことを考察している)

そして、チャーリーはわたしがドアが開けた途端、

わたしめがけて飛んできた。

しかも、ここ数ヶ月で、狭い場所を器用に飛び回る(曲がったり)スキルまで身につけていたので、ピンポイントでわたしに着陸した。

 

完全に、オカメインコちゃんの頭脳の良さと学習能力を把握して、

それを行動やケアに落とし込むことができていなかった。

 

もちろん、頭の良さと学習能力を全くわかっていなかったわけではない。

そして、ベタ慣れではないセキセイちゃんたちとはずいぶん違うので、

お世話方法もあそび方も、セキセイちゃんたちとは違うということで勉強をもっとしなければと思っていた。

そのために購入したオーストラリアの鳥専門の医師である

ドクターロスペリーの本はまだ読めずじまいだった。

 

チャーリーの捜索では、本当に一番の優先事項

「だと思えること」を次々とやっていくしかなかった。

すべてを「完璧に」できればそれに越したことはないだろう。

でも、すべてを「完璧に」やっていても、

すべてを「適当に」やっていても、

結果がどうなるかは誰にもわからないし証明のしようもない。

 

今日は、いや、今日もまだとっても疲れている。

明石家さんまの動画を見てぼーっとしている。

そして、思う。

 

チャーリーには本当に戻ってきてほしいし

生きていてほしい

いないことが寂しいしじぶんのしてしまったことが意味不明にうざい

 

でも、ずっと泣いたりすることは無理で

それは、チャーリーがいた時に、

ずっとかまい続けて一緒にいるのが無理だったのと同じだと思った

 

そばにいてもいなくても

生きていても生きていなくても

ずっと同じことや世間で愛情の印だと言われることばかりはできない

実際、愛情の印だと言われることを

勝手にずっとやってしまうことはあるにしても

 

ということはつまり、

チャーリーが生きていなくてもいなくても

そこにいてもいなくても

わたしのチャーリーに対する愛は

同じ量で存在し

実際、量などない状態で

存在するのだと腑に落ちて

安心した

 

でも、誰かチャーリーを保護してくれていますように

そして、戻ってきてほしい

 

 

チャーリーがいなくなってから 〜自分の今日の心理状態〜

今日は仕事を少しした
新しいお客さんの仕事前のトレーニング課題もやった

全般的にぼんやりしてしまう1日だった
ジョジ男が仕事前にでんわをくれた
チャーリー喪失日からずっとほぼ毎日連絡をくれる
毎日ではないというところがますますありがたく
尊敬できる

朝はやっぱり泣き暮らしてしまった気がする
いつも泣いてるのでよく覚えていないけれど

それでも今日は、仕事があったので
チャーリー奪還最後のチャンスをアップするためには
チャーリーのことを考えない時間を努めて設けようと思い
切り替えの儀式としてチャーリーに
しばらくディスコネクトするねと言って切り替えた

仕事はゆっくりだけれど普通に行えた

空っぽのカゴは殺風景で
見るたびにわたしも
変な表現ではあるが、殺風景にぼんやりしてしまう

あ、いや、うそだ
朝は空っぽのカゴを見て泣いていたのだった

仕事が終わってからはチャーリーのカゴと同じように
抜け殻になったかのように過ごした

その間、表情筋がおかしくなったのか
うすら笑いの位置で頬あたりの筋肉が
固定された

フッと笑いも漏れそうになった
漫画などでアタマがおかしくなった人が
アハハハハというシーンがあるが
先週の捜索中に辛くて痛かったときに
まだあんな風に笑ったりしてないし大丈夫だ
と思って安心していたけど
今日のうすら笑いの表情筋固定が起こったとき
やばかったら受診しようって本気で思った

今思い出したけど
今朝は本気でもうチャーリーに会えないのかと思って
ややパニックだった

結局今日は、あの建物探しにはいかなかった


マエストロ

ここしばらく
マエストロの様子がいつもと違う

昨日も夜遅くにパニックを起こしていた
今日の放鳥時も興奮して
何かに驚いたかのように
飛び回ることがあった

ろう膜の色も先週からよくない
注意してみてあげないと

ただ、わたしが近づいても逃げることが減った
こっちを見ることも多くなったし
粟玉をあげるときもすぐに来るようになった

セキセイちゃんたちは今日も静かだ
そして先週のケージ生活のせいかよくわからないのだが
ソファにわたしがいても来なくなった
前は粟玉を求めてソファの肘掛に飛んできていたのに

チャーリーが来る前は自主的に
チャーリーが来てからはチャーリーが居ると
チャーリーが何かおいしいものをもらっていると思ってか
やっぱりソファでごろりとするわたしのところまで
ちょこちょこきていた

わたしはそこでもまた
早く放鳥時間をもっと設けられるようにしないと
って少し自分で自分にストレスをかけていたなって思う
チャーリーがいなくなってから
セキセイちゃんたちとの時間が増え
一抹の罪悪感を覚える

そういえば、チャーリーケージの上で
夜のおやつを出すことを最近の習慣としていたが
その時はみんな来ていた

1週間でこんなにも静かになるだろうか
やっぱりチャーリーが居なくなったことでの環境の変化も
大きいように思える

だって以前もたまに1週間や2週間
わたしが外回りの仕事の時に
放鳥時間少なかったことは何度もあるもの

チャーリーケージの上でのおやつは
しばらくやっていないので明日やってみよう

チャーリーがいなくなってから 〜アニマルコミュニケーターさん〜

結果からいうと

チャーリーはもうこの世にはいないらしい

家を探している途中にどこか暗いところに落ちて何かで意識を失い

そのままあちらの世界へまた飛びだったらしい

その時もそして今も苦しまなかったらしく

この件は不慮の事故だと

そして今は太陽の光が降り注ぐところにいて

わたしの周りにいるらしい

現場の様子も教えてもらった

セッション後に外を見に行ってみたが

場所の確定は容易ではなかった

セッション中にそうかなと思った場所は

ちがった

 

そうこうしてるうちに5時過ぎになったので

今日も大した仕事はしていないが

今日はもうゆっくりすることにした

 

ビールを飲んでソファーで音楽を聴いていると

チャーリーが肩や指に乗っている感じを思い出した

久々にものすごい幸福感を覚えた

おそらく、最後にソファーでくつろいだのは

チャーリーと一緒だったのだろう

 

テレビを見ると一緒に笑ってくれたし

人間みたいな子だった

一緒に歌ったり踊ったりもした

オカメインコは頭を撫でて欲しいときに

頭をさげるらしいがチャーリーは一度もそれをしたことがない

代わりに顎の下にもぐりこんで抱っこしてもらいたがった

 

ここ数日、何も感じない瞬間があった

これまでと同じ日常でチャーリーもいる日常

悲しさも感じない

それは、自分のチャーリーとの思い出がそんなものなのか

はたしてはしっかり仕事もキャンセルしてしっかりと泣いたりして感情を抑圧しないことで癒しが速く進んでいるのか

などと考えていたけれど、きっとそれは

あまりに突然なこの出来事に

感情がいろいろついて行ってないことと

ここ1週間の非日常さが原因じゃないかと

思い始めている

 

突然いなくなって

突然に非日常な捜索活動

それが終わってもどろどろに疲れたカラダを回復させ

ことあるごとに泣くという非日常

 

こういうことを繰り返していたここ1週間だった

 

そしてすこしずつ、チャーリーがいた頃にしていた

日常の諸々のことを再び行うようになって

そのたびに

いないことを思い知る

すると全く何も感じなかった瞬間のことは

自分がもう何も感じないのではなかったのだと

そう思う

 

もうこの世にはいないらしいことを聞き

チャーリー動画をもう少し積極的に見て良いという許可が生まれた

 

https://vimeo.com/150813614

 

動画を見ると

ものすごく慣れているのがわかる

今だから余計にわかる

イヤホンだと声がダイレクトにクリアに聞こえ

いかにチャーリーがわたしの話すことに呼応していたかが痛いほどわかる

オカメインコちゃんの記事などを見ていて威嚇の音「フッ」について書かれてあったが、それを見て、そういや最近「フッ」を聞いていないことを思い出した。

 

ローカル氏の広告だけはしようかなと思うが

決断は明日の頭と感情がクリアなときにしよう

今となっては一刻を争う屋外捜索とは違って

少し余裕をもって決めていい

 

 

 

自分で引き起こしたこととはいえ

意味がわからない

多分人生で初めて経験する種類のことだと思う

 

アニマルコミュニケーターさんの言うことは

信じているのか信じていないのか

それもよくわからない

 

その建物を見つけるか

地域の新聞にも広告を載せるか

何もしないか

 

何れにしても自分で決めなければならない

これまではチャーリーに苦しい思いを

怖い思いをさせてしまったことが

辛くて仕方なくてやりきれなかった

 

今は、だんだん戻ってくる日常と共に

チャーリーがいないことをじわじわと

感じさせられる

 

セキセイちゃんたちは今日は少し元気で

外も飛ぶようになった

 

デイジーはたまごを見つけるといじっていたので

手のひらにたまごを乗せて目の前に持っていくと

わたしの手のひらでたまごを抱こうとした

 

チャーリーの生まれ変わりとかふとよぎったりして

この予定外の産卵を抱卵、そして孵化へと

サポートしようかとも思うが

今は新しいことはやめておいたほうがよさそうだ

判断力が低下しているはずだから

 

もっと動画を撮っておけばよかった

とはいえ結構撮影したけれど

チャーリーの言葉はまた違う機会に書き留めておこう

 

チャーリーがいなくなってから 〜セキセイちゃんたちの様子〜

昨日くらいから、セキセイちゃんたちの放鳥を開始しているが

みんなケージから出てこない

 

おまけに、ものすごく静かである

 

捜索中にオカメインコの鳴き声をスピーカーから鳴らしていた時は

それに呼応するようにギャーギャー鳴いていたのに

 

デイジーは昨日、5つめの卵を産んだ

一時期は38グラムに増えた体重は33グラムに減り

下腹部の膨満もない

本鳥は活動的とは言えないまでも

食欲もあるようだ

ただ少し下痢をしているのが気になる

要観察だ

 

マエストロはここ数日羽根を伸ばしてストレッチすることが多い

マエストロは精巣腫瘍を抱えているため

ストレッチするときにキューッという音を立てるので

ストレッチするとわかる

ストレッチが多いのは、運動不足のせいかなとも思っていたが

上記のようにあまり外にはでない

 

チャーリーが居た時はセキセイちゃんたちに

構える時間が減っていたので

もう少しうまく増やすにはどうしたもんか考えていたところだった

全く声かけしていないとかいうのではないけれど

チャーリーがものすごくいつもわたしといたがるので

結果的に少しセキセイ軍団との時間が減っていた

一度解体したバードジムを組み立て直そうとして

放置していたのは良くない

 

チャーリーのいない間も、セキセイちゃんたちのことはしっかりしてあげないと

もう1週間ほど彼らにも非日常な生活を強いてしまっている

 

チャーリーが来た当初、

セキセイちゃんたちはとても受け入れ良好だったと思う

チャーリーは最初は威嚇していたけれど

わたしがセキセイちゃんたちと関わるのをみたり

隣のケージで過ごしたり

少しずつご飯を一緒に食べるようになってから警戒は解け

ピコちゃんの名前はすっかり覚えてしまって自分から近づいていくようになっていた

さいきんはよくマエストロにも近づいて行っていた

 

セキセイちゃんたちは何が起こったかとかわからないだろうけれど

異変は感じ取っているように思う

 

すっかりおとなしくなったセキセイちゃんたちとは

そして、チャーリーの存在なくして

セキセイちゃんたちと関わるということが

もはや日常でなくなっていることに気がついたわたしは

セキセイちゃんたちとの関わり方を間違っていたのではないかと

ことあるごとに考えてしまう

 

 

チャーリーがいなくなってから 〜回想録3:チャーリーの経験しただろう苦痛〜

実際、わたしが悲しいことなどどうでもよい

目が腫れているとかどうでもよい

 

こうして書くことで自分のもつ悲しみを消化したり

落ち着かせたりしようとするのは

この局面においてすこしでも何かできる力を得るためである

 

この期に及んでは

チャーリーが経験したであろう恐怖や苦しみは

想像する以外はなにもできない

それらを直接とりはらってあげることはできない

 

あんな知らないところに突然放り出されて

気温は低く

どこにいっていいかもわからなかっただろうし

 

上空をしばらく旋回していたときの呼び鳴きが頭から離れない

 

こわかっただろう

さむかっただろう

さむさはさむいとかでなくいたかっただろう

 

おなかもすいただろうし

のどもかわいただろう

でも空腹や口渇など感じないくらいに

不安で恐ろしかったかもしれない

 

もしかしたら近くの大きな河に力尽きて落ちてしまったかもしれない

 

カラスはあまりいないけどカラスに追いかけられたかもしれない

タカもたまに見かけるので狙われたかもしれない

だれか心ない人に傷つけられたかもしれない

 

捜索中はすずめたちが元気にとびまわり

リスは口笛をふきながら歩くわたしを不思議そうに木の上から見下ろしていた

 

自分を責めても何も得られないとは本当のことだったようだ

自分を責めても取り返しがつかないし何の意味もない

もちろん、きちんと反省して行動を変えていくことはできるだろう

だけど、自責の念は反省して行動を変える原動力にはならない

あれは小説の中だけだ

言葉を知らない人がそうやって表現するしかなかったのだと思う

 

でもせめて、チャーリーが経験したであろう恐怖や苦しみは共有したい

そしてそうすることでチャーリーの存在を少しでも感じとりたい

 

空っぽのかごにはまだチャーリーの存在感がばっちりある

見えないしさわれないだけで

 

チャーリーのきもちなどわたしみたいな愚かな人間にはわからないだろう

でも少しだけでもチャーリーのことを考えたい

でもいない本当にいないのだ